『応援』って誰もが一度は誰かにされたことがあるんじゃないでしょうか?
もちろん僕も何度もあります。家族、友人、仲間、先生、コーチ…。ほんとにこれまで生きてきて様々な人に応援されてきました。
早速いきなりですが、下記の文章(言葉)を読んでほしいです。
誰かのことを自分のこと以上に応援する。
それって実はすごく大変で、時に苦しいこともあるけれど…
支えがあるから人は頑張れる。
あなたの後押しは、きっと誰かを強くしているでしょう。
これは…ある番組の最後に、ナレーションが喋っていた言葉なんですが、上記の言葉は『応援』というものが何か?その答えをもうほぼほぼ表しているものじゃないかと思います。
実際僕は、この言葉を聞いた瞬間に久々にペンをとって、とっさにメモしました。
それぐらい『自分の中の何かを突き動かす言葉』だったといことです。
つまるところ、この記事を読みに来たということは…『応援に対して、何かしらの悩み』があったからだと思います。
これはあくまで、僕の憶測ですが…
・応援したい誰かがいるけど、応援をして本当に意味があるのか?
だったり…
・誰かに応援されているけど、どうして応援されているのかわからない。
けれど、応援には自分が想像している以上にすごい力があると、僕は思います。
それは、『応援する側』も『応援される側』のどちらでも。
そんな『応援』に対して、改めて気づかされることがあったので、自分の過去体験も踏まえて、今回は紹介したいと思います。
人はなぜ応援するのか?その答えは以外にも簡単だった。
記事の冒頭で紹介した、下記の言葉…
誰かのことを自分のこと以上に応援する。
それって実はすごく大変で、時に苦しいこともあるけれど…
支えがあるから人は頑張れる。
あなたの後押しは、きっと誰かを強くしているでしょう。
これは、もう番組自体は終了しましたが、水曜日の午後10時からやっていた『バックトゥースクール』というテレビ番組の最後にナレーターが残した言葉です。
人はなぜ、『誰かのことを応援するのか?』
人はなぜ、『誰かに応援されると凄い力、奇跡が起こることがあるのか?』
その答えが簡単に思えるほど、上手い具合に要約されていると思います。
どんな時に人は応援したくなるのか?
では、人が応援する理由はわかったけど、『どんな時に人は応援したくなるのか?』…。
この問いについて考えてみたいと思うんですが、僕的には以下のような理由があると思います。
- :頑張っている人の姿を見た時
- :感動した時
- :家族、友人など親しい人が頑張っている時
1つずつ見ていきます。
①:頑張っている人の姿を見た時
これはある種の『人の本能的な部分』の影響が個人的に強いと思います。
毎年箱根駅伝など、すんごいたくさんの人が道路に立って応援しています。駅伝って、もろに他のスポーツと比べると走っている選手などの苦しい顔を目の当たりにするから、『応援しよう!』そう思える部分もあるからだと思います。
②:感動した時
もともと応援などしたことがなかったけど、誰かのプレイ・表現・演技などに感動して応援するようになった…
なんてことも結構ありがちだと思います。
要は『誰かのファンになる』ってことです。
プロ野球・Jリーグに熱狂的なファンが多いように、崖っぷちで勝利が絶望的だったんだけど逆転サヨナラホームランで勝利したとか、延長の末PKで勝利!といったように…
心を強く動かされて、感動し、その結果ファンになり以後そのチームや選手を応援するといった感じでしょうか。
③:家族や友人など親しい人が頑張っている時
家族や友人に応援するされるといったものが、一番馴染み深いと思います。
これには理由や理屈とか関係なしに、当たり前に『応援してる』といった感じに近いと思います。
だから、人はなぜ応援するのか?ではなく、家族、友人など親しい関係にある人を応援するのは当たり前のことであり、『応援する・しない』に理由はないといった感じだと思います。
応援に意味はあるのか?
じゃあ、最後になりますが、結局『応援に意味はあるのか?』…。
この問いを考えていきたいと思いますが、僕の経験談を元に少し話していきたいと思います。
まず、結論からいうと…
単に心の支えになるからとかの話ではなく、『誰かに応援された・誰かを応援した』という時間(経験)は、人生においてかけがえのない貴重な財産!
僕個人的には、こう思います。
応援されることによって、心の支えになったり、励ましになった。それももちろん素晴らしいことです。
けど、『応援の意味』って本質的にはもっと深いものがあると思うんですよね。
なぜなら、僕たちは普段の生活の中で、人を応援する機会は少ないです。ましてや、誰かから応援されることなんて、人生の中で数えるほどしかないでしょう。
たぶん一般的に、応援されるという経験を多くあじわうのは学生生活に集中しているから、そこを過ぎるとめっぽう減ると思います。
そう思った時『応援の意味』って、単に心の支えになるからとかの話ではなく、誰かに応援された・誰かを応援したという時間(経験)は、人生においてかけがえのない貴重な財産だと思うわけです。
だから、『応援の意味』ってのは単に一過性の出来事ではなく、長期的に見て価値あるものだと思います。
まとめ:応援は一生を通して価値があるもの
今回は『応援』について色々と話させてもらいました。
簡単に今回記事に書いた内容を、簡単にまとめると『応援とは一生を通して価値あるもの』だということです。
もちろん、決めつけているわけでもないですし、他の考えや意見をもっている方もいるとは思います。
ですが、僕がこれまで生きてきて、誰かから何かしら応援されてきて、そのことを振りかえって見た時…応援をしたされたという経験は『一生を通して価値あるもの』だと感じました。
どちらにしろ、『応援』ってのはすばらしいものなので、今後も誰かの応援する。または、誰かに応援されることがあれば、その経験を心の奥底に大切にしまっておこうと思います。
この記事がどこまで役に立ったかはわかりませんが、少しでもみなさんの参考になれば嬉しいです。
本日は以上です。
それでは、また…。