※この記事は2020年7月5日に更新したものです。ささっと読めば約3分で読みおわります。
── 本当の自由とは何か?
人が人として生きる上で、誰もが一度は『自由』について問い、考えたことがあるのではないでしょうか?
この記事を書いている私自身、『自由とは何か?』・『どうしたら人は自由になれるのか?』…よく自問自答をしたりします。
そして昨今(2020年7月1日)、香港に国家安全維持法が締結され、香港の若者が民主化を求め、そして自由を手に入れようと声をあげています。
が、私自身も現在22歳(学生)という立場から決して無視できない社会の情勢であり、彼ら彼女らの姿を見て、今一度『本当の自由ってなんだろう?』と問うキッカケとなりました。
そこで、今回私なりの考えや意見ではありますが、『本当の自由とは何か?人はどうしたら自由になれるのか?』深く考えてみたので、思考の整理として今回記事にて話していきたいと思います。
著書の紹介
尚、本記事にて書かれている内容は、以下の書籍の内容から学んだことが含まれています。
哲学は人生をよりよく生きる上で、必要不可欠な教養になります。興味のある方は読んでみてください。
そもそも自由とは何か?
『本当の自由とは何か。』を語るうえで、そもそも『自由とは何か?』という原点に回帰する必要があります。
そこで、一般的に私たちが思い浮かぶ自由ってどんなものがありますか?目をつぶって10秒ほど思い浮かべてみてください。
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はい。それぞれ人によって自由の捉え方は色々とあるかと思いますが、私が初歩的に思い浮かべる自由とは以下のようなものがあります。
- 社会に束縛されない自由な生き方
- 組織に属さない自由な働きた
- 悩みのない自由な暮らし
― これらが僕が目を閉じてざっと思い浮かぶ『自由』についてです。
ひとことで言うならば…
自分を縛るものから開放された状態のこと。
僕が捉える自由とは上記のようなものです。しかし、主観的な意見なのでは?と問われれば、尻をぬぐえません。
そこで、哲学者が定義する『自由』。自由への問いを追求し、自由とは何か?その問いへの象徴的な答えを紹介します。
哲学者『フロム』が定義する自由について
自由とは…個人として自立し、自発的に行動すること。
哲学者『フロム』は上記のように、『自由とは…個人として自立し、自発的に行動すること。』と言っています。
いきなりこの文だけ見ても、正直何言っているのかわからないと思います。(私も最初はわかりませんでした。)ただ、記事の後半に1つ1つ紐解いていくので、ひとまず自由とは『個人として自立し、自発的に行動すること』と念頭に置いておいてください。
自由とは見方を変えれば、不自由にもなる
哲学者フロムは、自由とは『個人として自立し、自ら自発的に行動すること』と答える一方で…
『自由とは不自由である』
とも言っています。
よって、その理由を以降で説明します。
いつの時代も人は自由を求めてきた…
歴史を振り返れば、人が自由を求め行動(革命)し、自由を手に入れようとしてきたこと。これまで幾度となくあったことがわかります。
そして、その歴史を見れば『自由とは不自由である』の理由も見えてきます。
支配から逃れようと人は自由を求める
今現代に生きる私たちは、昔の人たちから見れば、驚くほど自由な生活を送っています。
- 言論の自由
- 結婚の自由
- 職業選択の自由
昔の人からすれば、これら上記の自由は信じられないことでしょうね。(笑)
なぜなら当時の世界の構造は、典型的な従属社会であり、力を持つものが上にたち、弱き者たちを支配する構造。
身分制度があり、弱き人は理由もなく虐げられ、自由を奪われきた。
そうした社会の構造は、人々に反発心を生み、怒りとなり、やがてコップの水がいつかは溢れるように爆発する。
これは歴史が証明していることであり、人が人である限り、自由を求める生き物なのだと受け継がれてきたことです。
自由を求める一方で、自ら自由を手放す者もいる
しかし、人々が自由を求め行動したのにも関わらず、自ら自由を手放し、支配の下に元に戻る人もいます。
なぜなら、自由とは不自由であるから。
── 自分はこれからどう生きていくべきか?
── この先、自分はちゃんと生きていけるのだろうか?
自由とは、開放されることであると同時に・・・孤独や不安、迷い、悩み、苦労、困難、様々な壁が立ちはだかるのです。
そのため、自ら自由を望み、せっかく手に入れたのにも関わらず、また支配へ戻っていく。
なぜなら、その方が自由はなくとも、楽だから。
── 言われたことをやっていれば、生きていける。
── 与えられたことをこなせば、食っていける。
自由と不自由は天秤状態にあり、どっちをとっても結局は同じ。どちらにもメリット・デメリットがある。
ならば、その人が望む方を選べばいいだけ。ということになります。
ここまでの流れからして、おおまかにいえば自由とは何か?について解決したといえば、そうかもしれません。
けど、本当にそれでいいのか?
いや、いいわけない。
本当の自由があるはずだ!
っていうのが、以降での話です。
『本当の自由とは何か?』~熟考の末に出した1つの結論~
自由。それは冒頭でもみなさんに問いただしたように、人によってその捉え方は変化します。
そして、その自由には見方を変えれば、不自由が隠れている。
でも、本当に自由は不自由なことでもあるのか?
いいや、僕はそう思いません。哲学者『フロム』の教えを深く紐解いていけば、本当の自由は見えてきます。
ただし、今から話すことはあくまで一個人の私が出した結論であるため、当然全ての人を納得させるほどの絶対性を持ち合わせてはいません。
けど、『本当の自由とは何か?』と自問自答し、悩む人へのヒントになればと思っています。
自由には2つの自由がある
まず、本当の自由とは何かを語る上で、私は『自由には2つの自由がある』と考えました。
そして、それが…
- :与えられた自由
- :掴みとる自由
上記2つの自由です。
少し意味がわかるように、2つの自由について解説します。
与えられた自由
まず前者の『与えられた自由』とは…
生まれつき裕福な家庭に生まれ、何不自由なく暮らし、生涯一生親の遺産とかで遊んでくらせる状態のこと。
自らが何かをして得たわけもなく、初めから『時間・金・生き方』などありとあらゆるものが揃っている。
世間一般的に言えば大富豪の人たちが、この与えられた自由を私はもっていると考えます。
掴み取る自由
対して、後者の『掴み取る自由』とは…
0から自由を得ようと、行動しやっとの思いで得た状態のこと。
後者は私たち一般人に当てはまる自由であり、勉強し、お金を稼ぎ、自分が望む自由を手にいれる。
ある種、誰にでも公平にはじめから備わっている自由だと私は考えます。
じゃあ、本当の自由は前者か?それとも後者か?
結論。私は後者であると考えています。
どちらも自由であることには変わりはありません。ただ、文字の意味を紐解けば、どちらが本当の自由であるのかは明確です。
・自…自ら・我
・由…ささえとなる
それぞれを分解し意味を繋げれば…
自らのささえとなるもの。
という意味になります。故に後者の『掴み取る自由』こそが、本当の自由であり、以降で出す結論の明確な意味づけになります。
本当の自由とは『強い心をもちあわせている』状態である!
本当の自由とは『強い心をもちあわせている』状態である!
はい。ようやく結論にたどり着きましたが、私は本当の自由とは…『強い心をもちあわせている状態』だと1つの答えを出しました。
なぜなら、フロムが定義した自由の定義『自由とは…個人として自立し、自発的に行動すること。』が関係してきます。
人は自由を手にいれても、その裏に潜む不自由に負け、元に戻ろうとしてしまうとフロムが言っているように、心が弱い生き物。
でも、自由とは『自らをささえるもの』という意味を紐解いたように、自由を手にしても途中でまた元にも戻ってしまったら、それは本当の自由とは呼べない。
更に具体性を出すやめに、1つの例を見てください。
ある一人の会社員がいたと仮定しての話。
彼は会社の拘束される環境が嫌だとして、フリーランスとなり自由に生きたいと決めたそうです。
ただ、フリーランスという生き方には誰にも縛られない自由がある一方で、自分でやりくりしないといけない不自由があります。
そして、結局彼はこの不自由に耐えれず、結局元の会社員に戻りました。
でも、もし仮に彼がこの不自由に耐え、自分の決めた道を自分でやりきったといえるまで続けていたら?…その時彼は本当の自由を手にしていたでしょう。
つまり、この例からもわかるように、自由とは現状の状態ではなく、先にある状態。ゆえに困難を乗り越えた先の『強い心をもちあわせた状態』のことなのです。
これこそが、僕が出した本当の自由の結論であり、1つの答えです。
そして、強い心をもっているならば、この先どんな自由に挑み、例え不自由なことがあろうとも。結果的に見れば、すべてそれは本人からしたら自由な生きたになるわけです。
私が思う『本当の自由を得るための3つのステップ』
では、最後に私が思う『本当の自由を得るための3つのステップ』を紹介して、この記事を終わりたいと思います。
ステップ①:自由への志を宿す
まずは、どんなことであれ現状に満足できず、自由になりたいと思うならば、その志をしっかりと自分の胸に宿してください。
ステップ②:揺るぎのない信念を糧に行動する
次に、胸に宿した志を糧に実際に行動に移します。たぶん、ここまでは誰もができることですね。
ステップ③:一歩踏み出した道を元に戻らないこと
最後に一旦歩み出した道は、決して振り返らないこと。つまり、途中で投げ出したり、諦めたりしないことです。
どんなにツラくても最後まで歩み続け、自分自身が心の底から満足したのなら、それは自分自身が『本当の自由』を手にしたことになります。
それでは、みなさんも本当の自由を求め、行動しやり遂げましょう!
僕も常に学ぶ、いつか本当の自由を手にいれます。
そんじゃ、今日はこの辺で!